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東京高等裁判所 昭和55年(行ケ)76号 判決 1985年3月29日

原告

新日鐵化学株式会社

被告

特許庁長官

主文

特許庁が、昭和53年審判第2101号事件について、昭和55年2月8日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第1当事者の求めた裁判

1  原告は、主文同旨の判決を求めた。

2  被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

日鐵化学工業株式会社は、昭和45年8月22日、名称を「針状ピツチコークスの製造方法」とする発明(以下、「本願発明」という。)について特許出願をした(昭和45年特許願第73165号)。同出願は、昭和49年7月9日に出願公告された(昭和49年特許出願公告第26481号)が、特許異議の申立があり、昭和52年12月6日、拒絶査定を受けた。右会社は、昭和53年2月22日、これに対して審判を請求した。特許庁は、これを同年審判第2101号事件として審理した上、昭和55年2月8日、「本件審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年3月12日、右会社に送達された。

2  吸収合併による権利義務の承継

原告は、昭和59年6月30日、右会社を吸収合併し、その権利義務の一切を承継した。

3  本願発明の特許請求の範囲

石炭系のコールタールピッチに石油系重油又は石油系分解残油を全体の10~70重量%配合加熱攪拌し、次いで当該混合物を静置冷却後、該混合物の不溶性沈澱物を除去し、更に該不溶性沈澱物を除去した混合液をコークス化する事を特徴とする針状ピツチコークスの製造方法。

4  審決の理由の要点

1 本願発明の要旨は、前項の特許請求の範囲に記載されたとおりである。

2 英国特許第847840号明細書(以下、「引用例」という。)には、一重量部のコールタールピツチに約1~5重量部の沸点が80~400℃の芳香族石油留分を添加して濾過し、次いでコークス化することにより針状ピツチコークスを製造する方法が記載されている。

3 本願発明と引用例の方法とを比較すると、本願発明は石油系重油又は石油系分解残油を添加して加熱撹拌した後静置冷却して不溶性沈澱物を除去している点で一応相違しているが、その他の点では格別相違していない。

4 しかるに、本願発明で使用する添加油は、本願明細書の記載を検討しても格別脂肪族系のものに限られているものとは到底認められないので、引用例の方法で使用する芳香族石油留分をも包含していると認めることができる。そうとすると、右相違点は、結局のところ添加油にピツチを分散させる過程で加熱撹拌する点及び生成した不溶性沈澱物を分離するのに静置冷却する点に帰着する。

ところで、ピツチという固体状のものを適当な油中に分散させるのに加熱撹拌することは極めて当たり前であるし、また、不溶性の沈澱物を分離するのに静置冷却するというのもまた同様であるものと認められる。なるほど、引用例の方法では、芳香族石油留分を添加した後に加熱撹拌することは明記されていないし、分離手段としては濾過法又は遠心分離法を採用したことが記載されているのであるが、だからといつて加熱撹拌による分散や静置冷却による分離という当たり前の操作をあえて排除しているものとは認められず、むしろ積極的工夫のない当然の前提技術とみなしていたものと認めるのが相当である。

5 そして、本願発明の方法で製造した針状コークスが引用例の方法で製造した針状コークスに比して格別優れた品質のものとも認めることができない。

6 そうすると、本願発明は、引用例の方法に基づいて当業者ならば容易に発明することができたものと認められる。

5 審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点1ないし3は認める。同4及び6は争う。審決は、本願発明と引用例の方法との相違点についての判断を誤り、その結果、誤つた結論に至つたものである。

1 添加油の相違についての判断の誤り

審決は、「本願発明で使用する添加油は、・・・引用例の方法で使用する芳香族石油留分をも包含している」と判断したが、誤りである。

(1)  引用例の方法は、原料コールタールピツチを芳香族の希釈剤を用いて希釈し、粘度を下げ、濾過し易くして、原料コールタールピツチ中の針状ピツチコークスの製造に悪影響を与える物質を濾過又は遠心分離で除く方法である。引用例の添加油は、沸点が80ないし400℃のベンゾールのような芳香族石油留分であるが、これは右の希釈剤として用いられている。100%近く芳香族成分よりなるコールタールピツチを最も効果的に希釈できるのは、芳香族成分でなくてはならない。したがって、コールタールピツチを希釈できないような添加油は、引用例でいう芳香族石油留分の範ちゆうには入らない。

これに対し、本願発明は、原料コールタールピツチに脂肪族成分(パラフイン系及びナフラン系成分)を主成分とする石油系重油又は石油系分解残油を加え、これにより生成する不溶性沈澱物が針状ピツチコークスの製造に悪影響を与えるコロイド状の不溶性物質を核として大きな粒子となり、自然沈降するという事実に着目して、この不溶性沈澱物を静置沈降のみにより分離除去するという方法であり、引用例とはその技術思想を全く異にする。本願発明の添加油は、右の石油系重油又は石油系分解残油であつて、不溶性沈澱物の生成機能を持つものである。

引用例の添加油は、希釈剤として用いられ、不溶な成分を積極的に形成させ沈澱させるという機能は持つていないのであって、本願発明の添加油とは全く異なる。

(2)  審決は、「本願発明で使用する添加油は、本願明細書の記載を検討しても格別脂肪族系のものに限られているものとは到底認められない」としている。なるほど本願明細書中において、添加油は脂肪族系油に限られるとはいつていない。それは本願発明の添加油に芳香族系油が入つていても、コールタールピツチ中にも芳香族系油は含有されているから、これを別に排除するものではないのである。しかし、添加油が脂肪族系油を少量しか含まないか、あるいは、分子中に脂肪族的性質を有する部分の少ないものは、本願発明の効果を奏しない。逆に、引用例の添加油は、希釈して粘度を下げ濾過し易くする希釈剤であるから、脂肪族成分を含有するにしても大部分が芳香族系油であり、コールタールピツチに添加して不溶性沈澱物がほとんど生成しないものを指していることが、その技術思想から考えて明白である。

(3)  被告は、引用例の芳香族石油留分は希釈機能だけでなく、沈澱形成機能を有していてもよい、と主張する。

しかし、被告が援用する引用例の記載は、少量の沈澱とは別に、当初からの不溶性物質が沈澱せずに残つていることを示している。ベンゾールのような希釈剤で希釈すると粘度が下がり、コールタールピツチ中に含まれるコークス粉等のうちでも大きなものは沈降することがあり、引用例では、この粗粒子の沈澱をいつている。したがって、この沈澱は不溶性物質のごく一部にすぎず、除去する必要のあるコロイド状の不溶性物質のほとんどは沈澱していない。これに対して、本願発明の不溶性沈澱物は、コールタールピツチ中に添加油を添加することにより、コロイド状の不溶性物質を添加油に不溶な成分が抱き込み形成させたものであり、コロイド状の不溶性物質を含んだ沈澱物である。このように、沈澱といつても、本願発明と引用例において、その意味は全く異つている。すなわち、引用例の添加油には、本願発明の添加油のような添加油に不溶な成分の沈澱形成機能はない。

2 除去手段の相違についての判断の誤り

審決は、「引用例の方法では、・・・静置冷却による分離という当り前の操作をあえて排除しているものとは認められず、むしろ積極的工夫のない当然の前提技術とみなしていたものと認めるのが相当である」と述べているが、誤りである。

引用例の場合、コロイド状の不溶性物質は沈降することなくコールタールピツチ中に存在する。したがって、これら不溶性物質は、濾過又は遠心分離法を用いなければ除去できない。これに対し、本願発明の場合、添加油を加えて生ずる沈澱物は、コールタールピツチに対する溶解力の不足から生ずる添加油に不溶な成分の沈澱物であり、これが形成する過程でコールタールピツチ中のコロイド状の不溶性物質を抱き込みながら沈降する沈澱物をいうのである。本願発明は、この不溶性沈澱物を形成させることにより、濾過又は遠心分離法を必要とせず、静置沈降という簡単な方法でコールタールピツチ中のコロイド状の不溶性物質を分離することができるものであつて、その工業的意義は極めて大きい。これを引用例の方法における当然の前提技術とした審決の判断が誤りであることは明らかである。

第3請求の原因に対する認否、反論

1  請求の原因1ないし4の事実は認める。同5の主張は争う。

2  添加油の相違について

引用例の添加油である芳香族石油留分は、ベンゾールの例示にもかかわらず、その沸点及び石油製品の一般的特質からみて、脂肪族成分をも含有する複雑な混合物である場合がある。この芳香族石油留分が希釈剤として使用されていることは認める。しかし、このことは、右添加油がもつぱら希釈剤としてだけ機能することを意味しない。引用例の「ある場合には、濾過対象の原質を希釈すると少量の沈澱を生ずることがあるが、これは当初からの不溶性物質と一緒に混合物から実質上除去できる。」との記載(甲第3号証訳文8頁末行ないし9頁2行)によれば、右添加油が希釈機能だけでなく沈澱形成機能を有していてもよいことは明らかである。そうすると、引用例の添加油は、単にコールタールピツチ中に当初から存在する不溶性物質の濾過又は遠心分離を容易にするために、コールタールピツチを希釈する目的でのみ添加するのではなく、コールタールピツチと芳香族石油留分とからなる系から沈澱する炭化水素質を伴いながら、針状ピツチコークスの製造に悪影響を与える物質を除去するために添加するものということができる。

本願発明の添加油は、原告の主張(請求の原因51(2))によつても、芳香族石油成分を含有する場合があるから、脂肪族成分を主成分とするものに限られない。本願発明の添加油は、その脂肪族成分の含有量に特徴を有するものではなく、単にコールタールピツチが石炭系であるのに対して、石油系である点に特徴があるにすぎない。

そして、引用例の芳香族石油留分が脂肪族成分を含有する場合があることを原告は自認しているのであるから、両者はこれを区別することができず、また、除去する沈澱物も区別できない。

2  除去手段の相違について

引用例の方法では沈澱物を濾過又は遠心分離法により除去するのに対して、本願発明では静置分離法により除去している点で相違がある。しかしながら、この相違は、引用例の方法と本願発明における沈澱物の性質の相違に基づくものではない。

引用例の方法において、コールタールピツチに芳香族石油留分を添加したときに生成する炭化水素質の沈澱及びコールタールピツチ中に当初から存在する不溶性物質からなる混合沈澱物は、コールタールピツチと芳香族石油留分とからなる液相から相分離しているのであるから、右混合物を除去するのに静置分離法を採用できることは明らかである。そうすると、沈澱物を除去するのに、濾過若しくは遠心分離法によるか又は静置分離法によるかは、実験室的又は工業的実施の観点から分離効率、分離経費等を考慮して、必要に応じて決定できる事柄にすぎない。

第4証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。

理由

1  請求の原因1ないし4の事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、審決取消事由について判断する。

1 添加油の相違について

(1)  成立に争いのない甲第1号証によると、本願発明の「発明者達は、石油(「石炭」の誤記と認める。)系のコールタールピツチと石油系の残渣油との芳香族性及び含有油分の差異がコークス品質に及ぼす影響について研究の結果、石炭系コールタールピツチに対し、ある石油留分を特定範囲で配合、混合すると、その混合物に対し不溶性の沈澱物が生成し、しかもその不溶性沈澱物を除去した混合液をコークス化すると非常にすぐれた針状構造を持つピツチコークスができることを知見し、本発明を完成させたもの」(同号証3欄6行ないし15行)であることが認められ、このことと当事者間に争いのない本願発明の特許請求の範囲の記載によれば、本願発明において石油系重油又は石油系分解残油を全体の10ないし70重量%添加する目的は、針状ピツチコークスの製造に悪影響を及ぼす原料コールタールピツチ中の不溶性物質を除去するために、これを不溶性の沈澱物生成の際の共沈により沈降させることにあることが明らかである。

そして、成立に争いのない甲第7号証によれば、コールタールのような石炭系重質油に石油系重質油を加えこれがある量に達すると二相分離してしまうこと、これは、前者が、主として縮合多環芳香族炭化水素であるのに対して、後者が脂肪族炭化水素であるためと考えられていることが認められ、この事実と本願発明の添加油である石油系重油又は石油系分解残油に脂肪族成分が含有されていること(このことは当事者間に争いがない。)を考慮すると、本願発明で生ずる不溶性沈澱物は、右添加油に含有されている脂肪族成分によつて生成するものと推認することができる。

(2)  一方、引用例の添加油である芳香族石油留分が希釈剤として用いられていることは、当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲第3号証によれば、引用例の発明は、コールタールピツチ等高沸点の液化可能な石炭より製したビチユーメンを原料とし、この原料中に含有される不溶性物質を除去し、その結果残る液状物質をコークス化して針状ピツチコークスを得る方法であるが、この不溶性物質の除去については、「これらの固型物質は、本発明に従つて、濾過、蒸溜、遠心分離、溶剤精製、およびその他の方法により除去可能である。」(甲第3号証訳文5頁13行ないし15行)との記載及びその特許請求の範囲第1項の「同ビチユーメン中に存在する不溶相を自明の既知の方法で除去すること」(同訳文14頁14、15行)の記載から明らかなように、自明の既知の方法である濾過、蒸溜、遠心分離、溶剤精製及びその他の方法で行うものであることが認められる。そして、不溶性物質の除去を濾過で行う場合について、引用例は、コールタールを加熱して粘度を下げて行うことについて述べ(同訳文6頁10行ないし18行)、次いで、「本発明の実施方法としてさらに他の、より望ましからざる方法であるが、同方法によれば、上述のような方式の濾過工程を、特殊な希釈剤をそこに添加した後で、コールタールピツチないし類似の物質対象に適用する。同希釈剤は、同物質の粘度を下げ、同物質の被濾過性を高める。一般にペンキのシンナーとして挙げられる水性ガスタールから採る低沸点蒸溜物のような溶剤は、この種の工程に特に適していることがわかった。その他の適当な希釈剤としては、ベンゾールの様な望ましくは沸騰範囲が80℃から400℃の芳香族の石油留分が挙げられる。先のコークス化工程で発生するオーバーヘッドもまた使用可能である。」(同訳文8頁7行ないし19行)と記載している。この記載から、引用例における芳香族石油留分は、もっぱら原料コールタールピツチの粘度を低下させ、その被濾過性を高める希釈剤として用いることを目的とし、この目的のためにのみ加えられる添加剤であることが明らかである。そして、前記のとおり原料コールタールピツチが主として芳香族成分よりなること、周知のとおり引用例においてその芳香族石油留分を例示するものとして挙げられているベンゾールが芳香族化合物を代表する化合物であることからすれば、引用例における添加油である芳香族石油留分とはたとえ主成分である芳香族成分に脂肪族成分を含有する複雑な混合物である場合があるとしても、不溶性沈澱物を常に形成するに足る脂肪族成分を含むものを意図するものでないことが認められる。

(3)  被告は、引用例の「ある場合には、濾過対象の原質を希釈すると少量の沈澱を生ずることがあるが、これは当初からの不溶性物質と一緒に混合物から実質上除去できる。」との記載(甲第3号証訳文8頁末行ないし9頁2行)からして、引用例の芳香族石油留分は希釈機能だけでなく、沈澱形成機能を有していてよい旨主張する。しかし、右(1)、(2)の事実によれば、引用例で生成する沈澱物は、原料中に存在していた不溶性物質が、原料の粘度低下に伴い沈降したものと解するのが相当であり、これが本願発明における黒色固状のピツチ状をなす(甲第1号証5欄15、16行)不溶性沈澱物の生成を意味するものとは解されず、この記載があるから引用例の添加油に本願発明の添加油と同じ不溶性沈澱物形成機能があるということはできない。被告の右主張は失当である。

(4)  以上の事実によれば、本願発明の添加油が脂肪族成分のみからなるものでないとしても、また、引用例の添加油に脂肪族成分が含まれている場合があるとしても、両者の使用目的、作用は全く異なり、本願発明の添加油が引用例の方法で希釈剤として使用される芳香族石油留分をも包含するといえないことは明らかである。これを包含するとした審決はその判断を誤つたものといわなくてはならない。

2 除去手段の相違について

引用例の方法において原料中の不溶性物質の除去が自明の既知の方法である濾過、蒸溜、遠心分離、溶剤精製及びその他の方法で行なわれること、これに対し、本願発明において右の除去は、原料コールタールピツチに石油系重油又は石油系分解残油を配合し、加熱撹拌した後静置冷却することによつてピツチ状の不溶性沈澱物を生成させ、この生成の際に共沈により不溶性物質を沈降させ不溶性沈澱物とともに除去することにより行われることは前叙のとおりである。そして前掲甲第1号証よれば、この不溶性沈澱物の除去は傾斜法によつて行うことができることが認められ、この傾斜法による除去が引用例の濾過、蒸溜、遠心分離等の方法より簡単な方法であつて工業的に有効な方法であることは成立に争いのない甲第8号証の1ないし5により認められるところであるから、本願発明と引用例の方法は、その不溶性物質の除去手段において相違することは明らかである。

審決は、「引用例の方法では・・・静置冷却による分離という当り前の操作をあえて排除しているものとは認められず」というが、前掲甲第3号証により引用例のすべての記載を検討しても、引用例の方法において静置冷却による分離手段を採ることが可能であるとは認められず、また、その可能性を示唆する記載はないと認められる。

3  以上のとおり、本願発明と引用例の方法とは、その添加油及び不溶性物質の除去手段において全く相違し、この相違から本願発明は引用例の方法に比し優れた効果を奏するものと認められるのであるから、審決には本願発明と引用例の相違点について判断を誤つた違法があるといわなければならず、取消を免れない。

3  よつて、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、注文のとおり判決する。

(瀧川叡一 松野嘉貞 牧野利秋)

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